観音行

礼節と順序、これが人間がこの世に処して行く上に一番大事なことで、どんなに偉くなっても礼儀を失えば駄目であります。

床しけれ 我身の事を 後にして 他人(ひと)の

良かれを願ふ心の

この歌の通り、人をよくしようという精神こそ本当に床しい観音行です。

自己を捨てるというが捨てるように見えるんで、人のためと思えばその人は

大きな存在となる。自分を偉く見せようとするとかえって小さく見えるのであります。

観音様のご都合により、その時の仕事の上においてだれを使うか判らぬ。

今後といえども観音様は必要があればだれでも使う。もし、使われた人が俺がこうであるから使われたとか、俺がどうだからと思うと間違いがある。

観音様からこういうお見出しに与かるということは、一生涯の光栄でそれに対しては、ただ感謝よりほか何もない。

感謝して有難いと思えば後また使われる。

少しでも、自分がやったと思ったら観音様はもうお使いにはならぬ。

この点はたいへん重大なことで観音会が発展する上においても観音様は非常にやわらかくて、厳粛でたくさんな人を呼び寄せては、一人も残らずお試しになり、すぐりにすぐり、この人はという人だけ残し、そういう人達で固めて建設されるので実にその点は大盤石で世間ではよく形だけ見せるようにするが、こういうやり方は非常に観音様は嫌われる。

自分を見せようとすると空虚になる。

世の人のためと思って自分を無視すると、無視した自分が立派に存在する。

ここの道理のはっきり判った人は本当の働きが出来る。

神の道がある。自分の都合よくなりたい、よくしたいという念が少しでもあるとすれば物が思うように行かぬ。

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