感謝奉告

『言霊と観音様と一銭』

私がメシヤ様と御神縁を許されましたのは、某離脱教団でした。
“教団は、教祖そのものである”と云う、今にして思えば甚だ道理に合わない教団の指導体制も、当時まだ若かった私は何の疑いもなく素直に信じ続けていましたが、支部への日参を強要され「入信者を獲得せよ!」と、通り一辺倒に強要するばかりで、ほとほと疲れ果ててしまい、また、周囲の反対もあり脱会を致しました。
その後十数年間信仰とは無縁の生活でしたが、メシヤ様との因縁使命を改めて深く考えるようになり、求めて新◯◯協会に入会を致しました。此方はいたって常識的で急所の御浄霊も確立しており全く非の打ち所が無い協会でしたが、それとは別にして、私の居る場所ではありませんでした。味気ない日々を過ごし乍も、心の奥底では、いつか必ず神様から何らかのお知らせが在るに違いないと固く信じ、一縷の望みを支えに、その時期を待っておりました。
そんな折、平成21年8月10日、向源寺の十一面観音様に感じたのがきっかけで、
観音様の情報をインターネットで検索していくうちに大明主様奉讃会を運営される、N山さんのHPに辿り着き、御縁を感じましたので、その後折に触れてご懇意にさせて頂きました。翌年の平成22年6月、N山さんに、お花をやりたいのでMOAの光輪花クラブに入会をしたい、その筋の知合いの方は居ませんか?と、お願い申し上げたところ、K原さんをご紹介させて頂き既に◯◯の光教団からメシヤ教に転向されたK原さんから、
メシヤ教では、第一に必ず”メシヤ様”と御尊称を申し上げる、
メシヤ様と明主様は言霊の働きが違うのだと縷々ご説明下さり、確かに、善言讃詞には『メシヤと成らせ』、と最終的な御神格を現しておりますので、百聞は一見に如かずと思い、メシヤ様浄霊を頂きますと、今までにない神光が魂に響きました。  聖書に「太初(はじめ)に言葉あり、万物これによって造らる」とありますが、この時初めて確かな手応えを感じ、ハテ…?メシヤ教とは、いったい、どういう団体なのだろうか? 、そして立教者の楳木先生とは、どういう御方なのだろうか?  一度会ってみたいと、 益々、興味を覚えました。
メシヤ様の御教えにあります、本居宣長のお歌の「八百万神はあれども心せよ鳥なるもあり虫なるもあり」との一説を思い出して鑑みますと、メシヤ様が御昇天後、幾十もの分派教団が派生して細分化されてしまった以上は、たとえ同じ教祖を奉戴したとしても、皆一列ではなく、各団体の受皿と相応になるのは理の当然だと思いました。
率直にメシヤ教に触れてみたいと思い、平成22年7月8日にメシヤ講座の松原勉強会(現松原支部)への参加をお願いさせて頂きました。
前日の7月7日、N山さんと共通のご懇意にさせて頂いております知人ご夫妻様から尾形光琳作の紅白梅図屏風のお額が自宅に届き、このような偶然も重なり、
楳木先生とは一度もお会いした事はなかったのですが、この御方は、普通じゃない、と強く想わされ、夜もろくろく眠れませんでした。
8日 、松原勉強会当日、初めて楳木先生とご対面をさせて頂いてから、私の運命は大きく転換致しました。
楳木先生の第一印象は、大きなお身体に眼光鋭く、初めはお厳しい先生かなぁと思いましたが、そうではなく、如何にもご実直な感じで、教条的な臭みは一切無く、どっしりとした、大人(たいじん)らしき佇まいに触れ、直ぐに安堵感と親しみを感じました。
そして、初めて主神様(◯にゝ)の御神体を拝した時、今から16年位前に、◯にチョン(ゝ)の(ス)の形を神様から或る事象を以て強烈に印象付けられた事があり、ずっと頭に残っていましたので、近い内に神様の思召しが在るのかも知れないと朧気ながら感じました。
祭典も恙なく終えて、勉強会の最中に、ご浄化を頂きました。小用に立つ事絶え間無しで、御神室と階下の手洗いの階段を忙しなく何回も往復して、しかも一回の小用毎に、お馬さんですかと言いたいくらいの排泄量で、いったい、私のこの体の何処にこんなにも沢山の、水があるのでしょうか、何がどうなってるのか、サッパリ分かりません。私の体はどうなってるのかしらと思いました。そんな調子ですから、せっかくの楳木先生のお話も、ほとんど聞けてませんでしたが、理屈抜きに、明るい兆しが見え始め、二つ返事で入会をお願いさせて頂きました。
勉強会を終えた帰り、喫茶店で休憩している間中も、またしても小用に立つ事十数回。いくら生理作用とはいえもはや自分でも呆れるぐらいでした。ところが、気が付いてみるとガチガチに凝り固まっていた左の腎臓辺りがフニャフニャに柔らかくなっておりウエストも心なしか細くなっておりました。私は尿管結石を患ったことがあり腎臓が悪く軽い喘息もあり毎日がとても憂鬱で身体が重くて怠かったのですが、この日は、重石が取れたように身体がとても軽くなっておりました。
一人になって諸々の経緯を振り返り、流石に鈍い私も、神妙にならざるを得ませんでしたが、興奮が冷めず、気もそぞろ複雑微妙な心境の中、将に、ずっと前から待ち焦がれていた、神様からのお知らせを、まざまざと目の当りにしました。

天王寺駅で、切符の券売機に230円を投入すると何回やっても弾かれるので、半ばイライラしながら手の中を見ますと、変な、十円玉が、一つだけ、紛れ込んでいました。ところが其の変な十円玉というのは現在の貨幣ではなく、
奇しくも、メシヤ様が御在世当時 に流通していた、

昭和十三年の  “八咫烏一銭黄銅貨幣"でした。

『神様は全て型でお知らせします』との御教えがグルグルと頭の中を駆け巡りました。

太陽に関係がある八咫烏は、当然、”天照皇大御神様”に通じており、咄嗟に、

“メシヤ様”だ、と思いました。

八咫烏一銭黄銅貨幣が手に入る同じ年の3月31日には、今上陛下平成在位20周年記念の五百円硬貨が手に入り、続けざまに6月15日には2002年日韓ワールドカップ記念の五百円硬貨が手に入り、いずれも神様からの何らかの示唆かも知れないと思ってはおりましたが、極め付けが、一銭とは、
あまりに決定的な型示しだけに、ただただ、目を見張るばかりで、その場にへたり込みそうになりました。
そして遡ること平成2年3月17日の霊示体験(割愛)の記憶が鮮明に蘇り、過去と現在が点と線で繋がった様に思いました。

私は何に焦点を合わせるべきか、深く考えさせられました。

昭和十三年は、メシヤ様が上野毛宝山荘において御神業の基礎をお造り遊ばされた時代であり、当時の日本は戦時体制にあって当局の苛烈な思想統制による弾圧に言論の自由も無い中御耐え忍びながらの御神業の時代でもありました。更にその重要な聖地である上野毛宝山荘が、九分九厘、人手に渡る一歩手前、危機的状況の中、すんでのところで、引っ繰り返って、奇蹟的に、事無きを得たのも、昭和十三年でした。
メシヤ様が御掌にされたであろうと想わされる上野”毛”宝山荘時代の、一銭が、何故、過去からワープした様に、この平成の時代に現れたのか、何故、一”厘”の十倍である、一”銭”なのか、今を生きる私達信徒に与えられた、大きな課題ではないかと思わさせて頂きました。

神様の奇蹟は、体験者が事実ありのままをお伝えし、メシヤ様と因縁使命ある方々へと繋いでいくためのもので、 御神命を正しくお伝えする為には、一も二もなく、メシヤ様に、真剣に祈らせて頂く事が肝心だと改めて思わせて頂きました。

楳木先生が、クスの地に立教された、メシヤ教は、メシヤ様の御神命を受継ぐ私達信徒が結集するところの、磁場であって、

“メシヤ様が御神筆”の、『○ゝ(ス)』の御神体こそは、

【日とは○ゝを直した字で、中の点は太陽の黒点である。太陽の黒点あることは非常に深い意味がある。統一したのである。スである。】(著述篇一・p306)

【真は霊返しで読むとスとなり実である。華である。いよいよ実を結ぶのである。又は統べる、皇(すめらぎ)、◯ゝ、統一する、一人となる。】(著述篇一・p239)

【帰一、一とは元の神様則ち主神に帰する事である。それに帰する、主神に帰することであります。】(著述篇一・p241)

“七十五聲言霊全ての性霊”を持ち合せ、
“全ての根源”を現わせる、主神様メシヤ様の、絶対力の、
艮(トドメ)の震源地であると、確信をさせて頂きました。

翌月の8月12日、主神様の一矢(いっし)になる、待望の枚方(ひらかた)支部仮発会式に、ご参拝をお許し賜りました。
愈々、開く型の本格的な準備も整い、神様は御自ら御降臨される場所を定め給います、と楳木先生より教えて頂きました。
これから毎月、楳木先生の薫陶を頂けるかと思いますと、遠の昔に忘れていた、青雲の志が益々大きく膨らんでまいりました。このまま時間が止まって欲しいくらいに有意義なメシヤ様の御教えを賜り、一段落したところ、激しい咳と痰の浄化と急に腰が痛くなりましたが、御浄霊を戴いて腰の痛みも無くなりスッカリ楽にならせて頂きました。
それから自宅に帰る道中は何ともなかったのに、帰宅した途端に大熱と全身汗だくになり、一晩中咳と痰の連続で、この様な浄化が一週間も続き寝込んでしまいましたが、薬毒の塊が溶け垢抜けたのか、体重が3、4kgも減り、スリムになって以前とは全く別人の様になりました。
また、私は若い頃から頭重が酷く立ち眩み等は日常茶飯事で、その上に首や肩が固くて、どうしようも無かったのですが、自己浄霊をさせて頂きますと、ピリピリした引き攣る様な痛みと共に首や肩がみるみる柔らかくなり、こうした自己浄霊を繰返すうちに、お陰様で頭重による不快感がスッカリ無くなりました。精神的な救いに限らず、又祈祷や咒等といった八卦見のような不確実なものではなく、この様な霊体両輪の救いの浄化に伴う肉体の排毒作用もこれ程速かにハッキリしたものは三大宗教を始めその他の既存宗教には一切見られず、ましてや気功やレイキヒーリングといった生体エネルギーによる類の人間技とは全く別次元であるのは更に言うまでもなく、
救世主の救世主たる由縁は宗教や科学、過 現未をも超越した絶対神力の発動であって、近い将来において内外問わず周知刮目されるのは必至で、
改めて、主神様メシヤ様の深淵なる御神縁を許される大愛に感謝せずにはおられません。

11月18日、メシヤ大黒天様を、御下付賜った直後、まさしく間髪入れずの御利益には、諸手を上げて喜ぶというよりも返って厳粛な気持になり、枚方支部仮発会式以来、主神様の御神体を是が非でも我家にお祀りしたいと切に願っておりましたので、主神様メシヤ様の御計らいによって、メシヤ大黒天様から金銭の御守護を賜ったのだと、只々、平伏させて頂き、信仰の醍醐味とは、将に、正しい祈りは必ず叶えられるという、この一語に尽きるのではないかと思わせて頂きました。

ここで、向源寺の十一面観音様のお働きについて2点だけを以下に述べたいと思います。理由は、この観音様のお働きによってメシヤ教と御縁を許されました原点でもあるからです。

平成23年3月11日の午後2時過ぎ、観音様に感じました。その直後があの恐ろしい未曾有の東日本大震災でした。まさかlあの様な大惨事が起ころうとは思いもよらず、観音様の慈愛と震災地獄の明暗が、あまりにあまり過ぎて、言葉にならず、ただただ、呆然とするばかりでした。
観音様が何をお知らせなさりたいのかは私には未だに分かりませんがいずれ時期が来たら判明するだろうと思わせて頂きました。

平成28年6月初旬、御神室で「主神様とメシヤ様」を拝読させて頂いていたところ、床の間の違い棚にお飾りする観音様のお写真の白い縁取りに、点々と極々淡い色彩が柔らかな光彩を放って全体の色模様がうっすりした虹の様にも見えて、
観音様が、浮き出るような感じでゆらゆらと揺らめいておりました。
普段から主神様(○にゝ)の御神体だけは、ジっと目を凝らしますと、御文字のフチから白色電球のような真白い神光が見えるのですが、毎日拝見する観音様のお写真がこの様な形で見えたのは初めてのことなので、乱視かな?と思い、確認のため違う物体を何度か凝視しましたが何の変化もなく、観音様のお写真だけに見る現象でした。
観音様の霊視に何か意味があるのだと思い、ハタと気付かされたのは、拝読していたページが、昭和25年3月11日の発表文の、『五六七大祭』でしたので、全身全霊で拝読をさせて頂きました。
数日後の6月 15日、箱根で地上天国祭を迎え、祭典後、4月に起こった九州大地震の被災者でもあります光の森出張所責任者のK岡さんへの義援金の総額が五六万七千円、と出ましたので、メシヤ様の御教えの「九州は世界の型である」との記述を思い出し、「五六七」の数字が重なったのは決して偶然ではなく大変な意味が在るに違いない(著述篇8p505参照)と思わせて頂きました。こうした観音様のお働きも、大本のお筆先の、"神様は気もないうちから知らせるぞよ"とありますように、その内の一つには違いなく、一つだけ分かっている事は、神様は謎掛けで終らせるような事は決してなく、時期に応じて将来の展望がハッキリするのではないかと思わせて頂きました。

最後に、私の総括を述べたいと思います。
今年、平成29年6月15日に、『世界救世(メシヤ)教復興事業教団』として、
平成30年3月3日に迎える『メシヤ降誕’本’祝典』の本舞台に向けて、メシヤ教始まって以来の重要な霊と体の箱根(火)熱海(水)に、地上天国祭並びにメシヤ降誕仮祝典祭を執り行わせて頂きました。

翻って、本年は私にとっては人生最大の転機でもありました。
三月二十五日に、楳木先生が、御帰幽になり、たった一つの大きな柱を失い、喪失感と寂寥感に苛まれました。
また不肖私生活面においては経済的に厳しく赤字続きの自営業を立て直すお手伝いをせねばならず勤めに出る事も出来ない為に収入が一切無く不安は募る一方で物心共にこれから先どうやって立て直して行けばよいのか益々四面楚歌になってしまいました。
常々、メシヤ様の御手足に成らせて頂きたいと口では云うものの、イザという時になって、神様を信じて人事を尽くして天命を待つ忍耐と強い信念は私には何一つ身に付いてはおらず、自分の霊層界の現実を嫌というほど思い知らされ、こんな自分が情け無く思いましたが、今までの信仰の在り方を根底から変えて、自分にとっての突破口は必ず何処かにある筈だと思い浄化は浄化として真剣に受け止めようと思わせて頂きました。
そうした中、5月27日、楳木先生の夢を見ました。
白い中古車に楳木先生がお乗りになり私を助手席に乗せて運転をして下さいました。夢の中での私はいたって暢気な軽いドライブのつもりだったのですが運転をされる楳木先生のほうはとても真剣な御様子でした。場面が変わって、私は売店に立寄り美味しそうに並ぶケーキが欲しくて堪らず何個かトングに挟んでレジで清算して車に戻りますと、どういう訳か発車した場所に戻っており、車の外で楳木先生は待っておられ、目をお瞑りになりながら若干困ったなぁというご様子で、
『二十分遅れてる』と、想念が伝わりました。そこへ信者らしき男女二人が自転車を引きながら楳木先生の元へ現れました。男女二人共、楳木先生と同じ目的地に向うような雰囲気でした。
場面が変わって、トンネルのような所で楳木先生は私の左前方をお歩きになり、私のほうはいつの間にか、自転車を引いていました。
二十分遅れた私は、ションボリしながら、お詫びを申し上げますと、楳木先生は前をお向きのまま、右手をお上げになり、想念で『いいよ』といった感じの合図をして下さいました。私はそのご様子にホッといたしました。そしてまたトボトボと自転車を引きながら楳木先生のお後について行きました。
トンネルを抜けて表通りを右に曲がると、電車の線路が見えて踏切の手前まで、楳木先生が導いて下さり、ここで夢は終わりました。
楳木先生が運転する白い中古車は私自身で、二十分遅れの二十は、霊体の結びで、自分が眠っていたのでは遅々として前には進めず、これからは自分が自転車を運転して、踏切を超えて線の向こう側へ行かなければいけないのだと、楳木先生が夢で教えて下さったのだと思いました。

6月15日のメシヤ降誕仮祝典に向かう中で、楳木先生は御帰幽になりましたが、私にとっては御生前よりも、より確かな御存在に思えてなりませんでした。
楳木先生の御日願は、『世界救世(メシヤ)教』の復興であり、私の人生最大の目標でもあります。
“世界”と名を冠する以上は、日本だけに留まらず、世界布教に打って出たいと強く思わせて頂き、メシヤ様に真剣に祈らせて頂きました。
楳木先生に続き、メシヤ様との共同作業を祈りつつ、真の器と成る、
『世界救世(メシヤ)教』の復興を、お誓い申し上げます事を、この感謝奉告を持ちまして、私の決意表明とさせて頂きます。

楳木代表先生を始めとして、メシヤ様に真剣に真向かって来られた方々の歴史があってこその今、私はこうしてメシヤ様と御神縁を許されております。
そうして今日に至る迄三千年の長き夜の時代を生き変わり死に変わり毒を食らわば皿までもと罪穢を繰返して来た集大成が今の自分でもあります。夜の時代に染み付いた曲った癖を解消するには、辛い浄化も避けられないのかも知れません。さわさりながら反面、昼の時代に備えるための特徴を持たされ神様から生かされているのも又事実であります。
夜昼転換による現界の幕開けとなった 体の霊である昭和の時代に引続き体の体である平成の時代も終盤に差し掛かり、愈々、実と成る新元号に伴う大浄化の時代を迎えるためには、私が最も課題とするところの確固たる精神性を養い神様の御心のまにまに魂を大きく太くして生きて行こうと決意をさせて頂きました
これからも、メシヤ様と因縁使命ある方々への未来へと繋ないでいく為にも御神意に叶いますよう精進邁進させて頂きます。

以上を持ちまして私の感謝奉告を終らせて頂きます。長文最後迄お読み頂き誠にありがとうございました。

松原支部  K・H

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