奉仕の意味

 先程の話とも関連するかとも思いますが、所属している宗教の施設の清掃奉仕にはよく取り組むが自分の家の片付けや掃除はサッパリ、という人がいます。これは先月のお話にあった、精神の癖を取るということには繋がらないのではないでしょうか?

「まあ、便利に使われているに過ぎないのでしょうね。可哀相ですね。

よく寺には落葉樹が植えられてあり、修行する人は掃いても掃いても落ち葉が落ちてくる中で清掃奉仕に取り組むのですね。ご存じのように、修行のためにわざわざ植えてあります。落ちてくる葉に不満を抱いたり、落葉樹を植えてあることに不平を抱いたりしつつも、奉仕に取り組むと精神が鍛えられます。宗教施設の清掃は、こうしたことが基本にあります。

また、清掃奉仕に取り組んだら、自宅でも同様に清掃しなくては何にもなりませんね。その点、清掃の練習なのですね。現代は清掃の仕方をきちんと躾けてもらっていない人が多いですからね、尚更その意味は大きいですね。宗教教育の一つがこの清掃なのです。

そして、自宅でどのように取り組んでいるのかを観察することが、訪問活動なのです。相手の精神状態を見ることができるのです。また折に触れて、調度品の置き方なども見て、それとなくアドバイスして上げる。しかもその内容をどのように理解するか見ていくのです。

宗教というものは天国を造るために存在する訳ですから、人々の生活が天国的生活になっていかなくては使命を果たせません。天国的生活を営むようにお世話していくべきなのです。また、天国化のアドバイスの受け止め方が霊性の向上の度合いにもなるのです。口でどのように上手なことを言おうが、もっともらしいことを言おうが、あるいは偉そうなことを言おうが、その人の生活が天国的にならねばダメです。」

宗教をいくら熱心にやっても問題が解決しなければ・・・

― いくら信仰熱心でも幸せにならないというのは、そうしたことが原因でしょうか?

「そうですねぇ、家で問題を抱えていて、それから逃げるために清掃奉仕に通う、ということが意外と多いのでしょうね。それでは本来の在り方ではありませんね。マスタ-ベ-ションになってしまいますね。信仰の本当の喜びを得ることは難しいですね。静めのエイトスなんて言っている向きもありますがね。

奉仕というのは魂を浄めて、徳を積むということのためにあります。ご参拝というのは感謝を捧げ力をいただくためにあります。問題を解決することや願い事を実現することのために力をいただくのです。神仏によっても違いますが・・・。

先月もお話致しましたが、問題解決への方向性を見出しても、課題に取り組む過程で心の弱さが出る場合があります。その弱さを克服する力を神様は下さいます。また正しい祈りは必ず叶えられます。叶えるための力を授けて下さいます。神様はそういう役割を担っておられます。

一方、課題そのものは、初めの内は‘課題’として意識して取り組まねばできません。それができるようになり、‘課題’として意識しなくてもできるようになります。ここまで来ると習慣化してきた訳です。しかしここでは課題を達成したことにはならないので、取り組まないと気持が悪い、という心境に達しなくてはならないのですね。」

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