節分・立春について

メシヤの教えには、「鬼は内、フクは外」と唱えなさい、とあります。また、豆をまくのだったら、煎らないで生のままでまきなさい、とあります。どんな意味かと言いますと、約三千年前正しい神様を天岩戸に押し込めた時に岩戸の前に煎った豆をまいて「この豆から芽が出てくるまで、岩戸の中から出てこないように」と唱えたそうです.煎った豆から芽は普通出てきませんから、「永遠に出てこないように」という呪文ですね。そして岩戸の前に張ったのが注連縄です。注連飾りもそこからきています。

何故「鬼は内」と言った方が良いかと言いますと、閻魔大王を善人が拝すると柔和なお顔に見えるが、悪人が拝すると口は耳元まで裂け舌端火を吹き鬼のように見えると言いますね、あの鬼です。「鬼は外」と唱えてしまうと、今年も正しい神を入れないで悪いことをするぞ、と言っているようなものです.フクは、欲望を司る副守護霊のことだそうです.恐ろしいですね。で、節分は神様を押し込めた記念日だそうですから、お詫びをしなくてはならない訳です。お詫びをすると、翌日の立春から神の揮われる神威というものが弥増すのです。こちらは目出度いですね。

こうした神話を何故くどくどお話するかと言いますと、神様を押し込めたことによる象徴的なことが物質偏重思考なのです。この考え方を変えなければ地球までも破壊しきれない訳ですからね。いままでやってきたことを180度転換するぐらいの気持ちを持たないといけないと言うことです.心して節分、立春を迎えましょう。

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節分の意義

― 昨年、節分の日には『神言』を奏上するように教えられました。今年も同じようにお祭りさせていただくのでしょうか?

「節分祭で奏上する神言は大祓祝詞で、文字通り大きく祓うのですね。日常の心言行による罪穢れは天津祝詞によって祓えるのですが、1年に1度の節分祭では、人類全体の罪穢れを祓うのですから神言を奏上せねばなりません。そして、人類が厳格なご性格の神様を岩戸に押し込めた罪をお詫びし、それ以後積み重ねた穢れを祓っていただくのです。

また、神様を押し込めた際、岩戸の前に煎った豆を播き‘この豆から芽が出てくるまで開けない’と唱えたとされます。煎った豆から芽が出るはずもなく、‘永遠に出てくるな’という呪文ですね。それが現代に残る豆撒きですね。

ですから、『豆撒きはしない方が良い』とメシヤの教えにあります。どうしてもしたいならば、生の豆を撒いたほうが良いですね。芽が出ますからね。また、‘鬼は外’の鬼は、悪人から神を見たときに鬼に見えたのですね。閻魔大王を善人が拝すると柔和なお顔に見えるが、悪人からは‘目は爛々として口は耳元まで裂け舌端火を噴き・・’というように見える、それと同じですね。

また、『‘福は内’のフクは、欲望を司る副守護霊のことだ』とありますので、‘鬼は外’‘福は内’と唱えることは‘今年も神を押し込めたまま、欲望のままに生きるぞ’と唱えていることとなります。知らない事とは言え、大変恐ろしい事を重ねていることになりますね。ただこれも深奥なる仕組があるので、今日まで知らずとも仕方ない訳です。そして時が到来して、メシヤの教えが著されることにより明らかになったのです。

この真実を知る人を増やし、人類の罪をお詫び申し上げ、岩戸開きに臨む決意をする、というのが節分祭の意義ですね。そして、節分祭で神様にお詫びすると、翌日の立春から神威は弥増します。」

立春の意義

「この弥増す神威は、具体的にどのような型で現れてくるかと言いますと。1つには、浄霊力をはじめとする救済力が強くなります。2つには、浄化力が強くなります。3つ目には『真理の具現』です。まず、強まる浄霊力を自分の手に入れるようにしていただきたいですね。そのためには、3つの基本を心掛けて数多く取り次ぐことが肝腎です。‘いつでも、どこでも、誰にでも’というようにですね。

浄化力についてですが、神威は罪穢れを払拭しようと作用します。払拭する時に起こる現象を浄化と呼びますが、これは様々な形となって起こってきます。大きくは天変地異という形から、個々人の問題まで。それらについては、全て浄化であるという見地から対処してまいりますと、罪穢れが取れた分だけ善い方へ向かいます。

しかし、何も問題が起きることを待つ必要もない訳で、やはり自分から進んで積極的に罪穢れを払拭していく方が楽ですね。罪穢れを払拭する早道は『積徳』です。徳を積むということですね。徳を積む道としては、‘神様の役に立つ’‘人を救う’ということが挙げられています。

更には『真理の具現』ですね。これは先程からの話にもありますが、まあ世相というものを観ていくと明らかになっていきますから、楽しみにしてください。

立春祭では、天津祝詞・善言讃詞を奏上し、神威弥増すことを言祝ぎ、一層御力をいただけるようにご祈願致します。」

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立春祭の意義

節分祭を厳粛に執り行い、神言を唱え、人類の罪穢れをお詫びし、『天の岩戸開き』に精進する誓いを申し上げますと、翌日の立春祭から神様の揮われる神威が弥増します。弥増す神威の象徴は『浄霊力』と『浄化力』となって現れます。

『浄化力』は、誤魔化しが暴露されるということです。厳格な神様を隠退させ誤魔化しを重ねてきた事が白日の下に晒され、暴露されるということです。個々人においては罪穢れの清算です。しかし恐れることはありません。主神様は『浄霊力』を私達に授けてくださっています。浄霊に縋って乗り越えて行けばよいのです。

教えに『神様はいろいろさせて、それによって神代の罪を今帳消しになさる』とあります。私達の身辺に起きる事象ははそうした背景がある、という認識が必要ですね。そして、主神様のご意図に沿った教義に則りお祈りを捧げることが大切なのです。その祈りに取り組んでくださる方々が増えていますことに心から感謝致します。

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物質文明の進展を促すために「閉じ込め」はあった

それでは何故、太古の昔にそのようなことがあり、現代まで形を変えて受け継がれてきたのでしょうか?

それは、この地上に理想世界を樹立する前提として、まず物質文明の発展を進めるためだと教えられています。そうすることにより、人々は天邪鬼(あまのじゃく)となり、利己愛が強くなり、そして戦争を重ねます。戦争が繰り返されれば尊い人命を奪う目的で軍事技術が磨かれますが、それが日用品に応用されると人間生活は便利さを増します。

今、日本中のどこからどこへでも日帰りができるのは航空機があるからです。皮肉なことですが、これもそうした恩恵を受けているということです。また車好きの人なら、ポルシェに乗りたいと願う人が多いと思いますが、911カレラに搭載された空冷水平対向エンジンは軍部からの要望で研究が重ねられたということです。

また、RV車の草分け的存在であるベンツのゲレンデヴァ-ゲンは軍用モデルがル-ツであることは広く知られています。因みに、ベンツのスリ-・ポインテッド・スタ-は陸、海、空の3部門を制覇するという強い意思を形にしたものだということです。

ここまでの約1000kmを乗用車で移動するにはカ-ナビを頼りにしますが、そこで威力を発揮するものがGPSです。これも軍事目的で開発が進んだものです。BS放送も同じことが言えます。私達は、戦争で繰り返される悲劇を嘆く一方で、生活上の便利さを享受しております。この相矛盾する両者の狭間の中で生きているということが現実です。

そして、人類を滅亡させかねない兵器が開発されました。また、ジュネテック工学は神の領域に踏み込みつつあります。いよいよ物質偏重の価値観に終止符を打ち、ここで精神文明を進展させなければならない時期が到来したのです。それがメシヤ教が開教された理由ですし、宣教の主眼です。

立春祭を期して弥増す神威は‘昼のリズム’を生む

一人でも多くの人が節分の本来の意味を理解し、節分祭において人類の罪をお詫びすることにより、翌日の立春祭を期して神様の揮われる神威は弥増します。

そして、立春祭を期して弥増す神威は‘昼のリズム’を生みます。左進右退の神律です。

昭和25年(1950年)2月4日にメシヤ教を開教(信仰読本12ペ-ジ参照)して、3月20日に開教の意義を再度徹底するために『何故メシヤ教となった乎』という教えを垂れています。

『何故メシヤ教となった乎』より

『仏教は月であり、月は夜の光であるから、観世音菩薩は御仏である以上、夜の月の御働きであるから、絶対力は揮い得なかったのは時期の関係で止むを得なかったのである。従って、愈々昼の世界になる以上、仏の御働きは茲(ここ)に解消し、神の御働きとならせられるのである。』

『観世音菩薩が神の御働きとなるとすればどういう変わり方になるかは、信仰者として最も関心事であろう。それは度々(たびたび)言う如く善悪無差別的救いが無差別ではなくなり、善悪をはっきり立て分けられるのである。という事は善の御守護は益々厚くなり、悪には今までとは違い愈々厳しく裁かれ給うのである。この点を深く肝に銘じて進むべきである。それには何よりも出来るだけ御神書(御教え)を拝読する事である。』

この教えを発したにもかかわらず、弟子達の権力抗争が闇で繰り広げられ5月に『教祖の御法難』が巻き起こるのです。まさに善悪立て分けを先延ばししようとする闇の働きに煽動されたのです。

さらにそれからは、御法難を楯に教えの改竄が重ねられます。それでも教祖は本来の御神業推進を目指し、昭和29年(1954年)6月15日メシヤ降誕仮祝典を執り行いますが、御法難の後遺症により翌30年2月10日御昇天されてしまうのです。

私は節分祭、立春祭を大きな節目と心得ていることは勿論ですが、6月15日の地上天国祭をメシヤ降誕本祝典となるような想念で祭事を重ねてまいりました。

それはまた、『立春祭を期して弥増す神威は6月15日の御祭りを期して現界に移写され始める』という意義があるからでもあります。移写される上で明確なのは浄化力です。善悪の立て分けのための浄化力とも言えます。そして、善を救済する浄霊力です。

そこで、立春祭の慶き日に改めて教祖を「メシヤ様」と尊称することを徹底するようにお願い致します。新しい信者さん方は初めから「メシヤ様」なのですが、先輩の方々は「明主様」という尊称に慣れ親しんでまいりました。改めて本日ここに徹底をお願い致します。やはり想念とそれに伴う言霊が大切ですのでどうぞ宜しくお願い致します。

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