浄霊に対する認識

浄霊に対する認識について考えていただきたいと思います。私達が浄霊に出会った時は、何らかの問題を抱えている状態でした。そうでない人は幸せですが、多くの方は病気で苦しんでいたり、また家族が病気で苦しんでいたり、悩みを抱えていたり、等々の状態でした。そして、その状態から救われてまいりました。

その経験から、浄霊をいただきたい心境が生まれる時は体調の優れない時や疲れが出た時が多いのではないでしょうか。また、人様に浄霊をさせていただこうと思い立つ時も、具合の悪い人を探すようなことがあるのではないでしょうか。これが、病気治し的な浄霊観に留まってしまう原因です。

浄霊との出会いの動機は病気などが多いのですが、例えば、芸術家ならばその才能が更に開花するような浄霊を心掛けていただきたいのです。また、様々な職業に対する認識に勘違いが多く、例えば農業従事者は体力が勝負のように考えがちですが、実は本来頭がよくなければ務まりません。そのようなことが判った上で浄霊を取り次いでいただきたいのです。

これは、ご自分の子供に浄霊を取り次ぐ時も同様です。「健康を維持できますように」、「学校で怪我をしないように」という祈りは親として当然ですが、「社会や人のために役立つ人間に成長するように」という祈りをもって浄霊を取り次ぎたいですね。そして、天から与えられた「特性」を自覚できるような状態で成長が許されるように浄霊をさせていただきたいですね。

その姿勢が生活の中に行き渡ると、「これを着る者が健康を許されるように」と祈りながら洗濯物をたたむということに繋がるのです。玄関の靴を揃える時に「事故にあわないように」という祈りができるのです。「良い仕事ができるように」と祈りながら背広の手入れができるのです。

それが更に進化すると、『日本人種の霊的考察』という御教えに繋がり、「本来の魂が輝くように御力をください」という祈りをもって取り次ぐ浄霊になるのです。この三千年来、大和民族は歴史に埋もれて生きてきました。ともすると、現代社会を否定的に捉え生きる気力を持てずにいる場合もあります。そうした魂に力を注いで行かねばなりません。

だからこそ、魂へ向かって浄霊を取り次ぐ想念を確立しなければならないのです。

浄霊を取り次ぐ際の感じ方

また、浄霊を取り次ぐ際に、手の平が熱くなったり、ビリビリしたりする場合があります。これに対して、「水の性」の人は感じやすく「火の性」の人は感じにくい、という解説が過去ありました。そうしたことから、「浄霊は‘火の洗礼(昭和23年からは「洗霊」を使用)’だから感じない方が良いのですか?」という質問が出たり致します。感じるか感じないかは、その人その人の持ち味であって、これも浄霊の入り口なのです。

ご承知のように、「水の洗礼」は水で物を洗うのと同様で、相手はきれいになるが自分も汚れます。しかし「火の洗礼」は、火の性質そのままで、物を火に入れれば入れるほど火力が増すように、相手もきれいになるが自分も更にきれいになります。水は、汚れたものを入れれば入れるほど汚れますが、火は益々盛んになります。

浄霊を数多く取り次げば取り次ぐほど、霊力を増すのはこうした訳があります。しかし、祈祷師などはお祓いをすればするほど、自らが汚れ、次第に霊力が弱まるばかりではなく、祓われた霊から恨みを買い悲惨な末路を迎えることがあります。私は、幾人かそうした方に出会い、メシヤ様に救っていただきました。

浄霊は、だからこそ有り難いのです。取り次げば取り次ぐほど霊力が増し、「魂幸坐せ(たまちはえませ)」という願いが叶うのです。

過去に高弟と言われた方が道を誤り、教団紛争を引き起こした経緯がありました。そのことについて、前の組織で最も尊敬していた上司に「何故このようなことが生じるのでしょうか?」と質問したことがあります。「火の洗礼と言うけれども、やはり色々な因縁を受けるから・・・」という回答でした。私は、その一言で急に尊敬の念が醒めてしまいました。神格の捉え方が低いからです。因みにその元上司は、現在その組織の会長職にあります。

油断するといけない、と思い知らされた瞬間でした。自らの想念や言動で神格を下げることのないように自戒をもちました。そして、絶えずレベルアップを目指して生活しなくてはならない、と強く自覚しました。

どうか、浄霊に対する想念を高め続けてください。また、感じ方に囚われていますと病気治し的浄霊から脱し切れません。もちろん楽になるということは大変重要なのですが、そこに留まって欲しくないから申し上げているのです。

自らの体を光がス-ッと通過して行く想念をもち、結果はメシヤ様にお任せする心境で積み上げてください。

浄霊の取り次ぎとご祈願

大切なことは祈りと心掛けです。

今月から、神様に合わせた祭典と人間の都合に合わせて執り行わせていただく祭典ということについて、深く考えさせられております。

毎月一日に「一日祭」を執り行わせていただき、前月度の奉告を申し上げて感謝のお祈りを捧げ、当月度の御守護願いをさせていただいております。この祭典は、毎月の元旦ともいうべき日に執り行うもので、当然ながら動かすことのできない日の祭典です。謂わば神様に合わせるべき祭典です。

これに対して、各地で執り行う月次祭は私の都合や皆さんの都合に合わせて神様に奉告して執り行わせていただいております。謂わば、人間に合わせていただける祭典です。そうしたことから、私自身それぞれの想念を確立して取り組まねばならないと考え、ひと月の動きも変えて行かねばならないと思索しておりました。

そうした時に「神界通信」にご紹介したようなお知らせをいただいたのです。

ご祈願の内容は、「信仰読本」をよく読んでいただけばよろしいかと思います。言葉で申し上げるならば、『全宇宙のご経綸にただただ感謝申し上げますと共に、真善美完(まった)き恒久平和の理想世界実現を謹んでお祈り申し上げます』というご祈願です。

主神様の御神体の御前で祈願参拝に取り組む‘場’が増加するように、願っております。

このご祈願が、『ご神前から天界へス-ッと繋がる』と教授されました。その神柱が次第に太くなって行き、天国化が進むのです。しかし、『パッと変わるということはない』とも釘を刺されました。礼を尽くし、誠を尽くし、感謝を尽くして執り行わせていただくことが尊いのですね。

浄霊を取り次ぐ際の心掛け

そうしたことを重ねながら、日常の浄霊に取り組んでいただきたいのです。先程もお話致しましたように、子供には「本来の特性が発揮され、社会や人様のお役に立てる人材に成長を許されますように」という祈りで浄霊を取り次ぐことをプラスしてください。

また夫には「神様から与えられた天職使命を果たして行けますように」という祈りで、妻にも同じ祈りです。そして子供が生まれたら、「叡智を以って、子育てができますように」という祈りが夫婦間に加わります。

人様へは次の祈りを以って取り次がせていただきましょう。
①天職使命を自覚でき、それを果たして行けますように。
②因縁使命を自覚でき、地上天国建設のお役に立たせていただけますように。
③霊線に繋がる全ての方へも御光が行き届きますように。

かつての教団では、浄霊の奇蹟が顕著なので、思考が停止してしまったところが見受けられました。また祈願参拝についても、前回のご論文で指摘されていたように『教化事業を宗教の全部と錯覚』したようなところがありました。レベルが低かったのですね。

主神様の御経綸のまにまに時代は進んでおります。私達の取り組みも進歩発展してまいりたい、と願うものです。それが素晴らしい御神業へ繋がるのです。

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