「天の八洲河原の誓約(うけい)」場所と「元伊勢」を訪ねる

Q.  先月の教えの中で、『最古の時代から丹波の国元伊勢という処に、鎮座されておられた処、今から千百年以前、現在の伊勢の山田に遷宮されたというのであるが、其時大神の神霊を神輿(みこし)に遷(うつ)し参らせ、数人の者が担いで元伊勢の外れに流れている、五十鈴川という川を渡らんとした時、急に神輿が重くなり、どうしても渡る事が出来ず、引返して元通り鎮祭されることになったというのである。』とありますが、どうしてそうしたことが起るのでしょうか?

A.  教えには『面白い』とありますので、想像してみてはいかがでしょうか。面白いとは、興味深いということですよ。

私は、教えに引用された場所へはほとんど訪ねていますが、元伊勢の御座石は見ていませんでした。教えでは「ございし」というルビでしたが、神社では「みくらいし」と呼んでいるそうです。十数年前に参拝した折には、神戸での行事終了後に信徒十数人を連れて移動致しましたので、夕方になってしまいました。11月だったこともあり、すでに日が落ちていました。御本殿参拝時には真っ暗でした。この時不思議なことがありました。

当日は、天津祝詞と神言を奏上させていただくことにしていました。そして、いよいよ祝詞を奏上しようとする時に御本殿の電灯が切れてしまったのです。当時神言は祭式では奏上していませんでしたので、誰もが全てを暗誦できませんでした。それで明かりがなくては神言奏上は叶わないと思いましたが、復旧する見込みもないので参拝を始めました。

私が先達を務め、いよいよ神言奏上になると、不思議なことに私の「祈りの栞」に何処からともなく光が射すのです。私は恙無く朗々と奏上することを許されました。これには深い意味があったのですが、またの機会にお話致します。そんなことがあって、真っ暗な中でのご参拝でしたので御座石を見ることができませんでした。

ですから一度見に行かねばと考えていまして、先月元伊勢に参拝しました。外宮への参拝を終えて、何とか午前中に内宮へ着きました。今回は天津祝詞と善言讃詞を奏上させていただきました。参拝後社務所で挨拶をすると、撤饌物を下さり丁寧に境内の参拝順路を教えてくれました。

私は、御座石に向かう途路「御座石が何故落ちたのか?」「どうして元通りに鎮祭されることになったのか?」と反芻しながら歩いていると、「日室岳(ひむろだけ)」遥拝所に差し掛かりました。説明によると「ピラミッドに似た日室岳は、原生林におおわれた神霊降臨の神山で、禁足(登ってはいけない)の聖地である。」ということです。私は遥拝をさせていただいて、御座石へと向かいました。

ところが、教えにもありました天岩戸神社へ先に着いたのです。私はその谷川へ下りて行き川の辺(ほとり)に佇んだ時、神輿が重くなった理由は簡単だと思いました。御代が素盞鳴尊に奪われ、次いで神武天皇に征服され、そうした経緯のある為政というものに利用されたくなかった、ということだったのです。それと同時に、懐かしさが込み上げてきました。若い時からこうした景色を好んで、様々なところへ転居しても同じようなところを探し求めては一人で佇んでいまして、‘何故こうしたところを好むのだろうか?’と思っていました。その疑問が‘なるほど’と氷解したのです。

そして、日室岳こそが本山なのだと思いました。というのも、先月は、元伊勢へ向かう前に「八洲河原の誓約(うけい)」の場所も訪ねたのです。三重県から滋賀県へ向かって国道一号線を走り、大津の手前から野洲へハンドルを切ると河原へ向かう手前に三上山という山があり、その山の横から見た形状が元伊勢内宮への上り口から拝する日室岳とよく似ていまして、延々と続いている因縁を彷彿とさせられました。

鹿島神社に対する記述を見ましても、現世(うつしよ)に肉体を持たれて生誕された神が崩御された後、神社として祭られております。元伊勢も戸隠の後に連なるという由来があるのでしょう。これは神社のガイドブックの説明とは異なりますが、いずれ明らかになることでしょう。

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