支部の取り組み―問題解決を進める

坂本さんが御守護いただいた借金のことがあります。多額の債務を裁判所を通して大幅に減額することができました。しかも放棄ではなく、払い過ぎている金利を修正することにより実現できたのです。問題解決というものは、そこが大事なのです。

今までは、問題というものを先祖の曇りだとか、先祖が救われていないからだとか、という形で解説されてきた面があったと思います。全部先祖の所為にしてきた面もあったと思います。しかし、問題というものは全て自分で作り出しているのです。それを先祖に責任転嫁しているのです。それが一番楽だからです。

指導する側も同じで、楽なのです。何故かと言いますと、問題解決の具体的手法を考えて教えなくて済むからです。済むというより、具体的手法を知らないですね。「先祖が救われてないのよ!」と言えば、「ハハァーそうなんだ」ということで、具体的に何も取り組まなくて、指導者としてこんな楽なことはありません。指導者が楽をして、怠けているだけなのです。

問題というものは、問題を発生させる根っ子というものが必ずあります。それを辿ってゆくと、親、祖父母まで辿り着き、その先へゆくと先祖ということも稀にはありますが、先程の「小言」と「脅し」の話のように、自分が問題を形成している場合が多いのです。

皆さんの生活に当てはめて考えていただきますと、例えば真っ直ぐ歩こうと考えて一歩を踏み出しましても、最初の一歩が1ミリずれていたら100メートル進んだ時には十数センチずれてしまいます。先へ進めば進むほど1メートル、10メートルというようにドンドンずれます。それが最初の思惑と違ってくることと同じなのです。

出発点がずれると先へ進めば進むほど問題を発生させることにもなるのです。また、修正を加えようと考えても、見切り発車したり、ズルズルと先延ばししていても問題が生じるのです。借金の問題もここにあります。

ですから、問題というものは出発点のわずかなずれと見切り発車、それから修正を先延ばしする決断力の弱さが発生させる場合が多いのです。逆に言うならば、問題というものはズーッと遡って考えてゆけば、必ず出発点があるのです。自分の人生を遡って、出生までゆくかもしれないし、両親までゆくかもしれないし、先祖に辿り着くかもしれません。

いずれにせよ、出発点を捜し出し、そこまで遡って修正すれば必ず問題は解決するのです。宗教における面談等はその作業をすることなのです。それを説教と勘違いしている宗教家が多いのが更なる問題なのですが・・・。

さて、それで問題を発生させる出発点が判り、原因を特定でき、修正の方向性が明確になった時に、信仰というものが力になるのです。問題を抱えた人は、前に出ることも後ろへ退くこともできなくなっている場合が大半です。そうした時に背中を押してくれるのが信仰上のお世話です。

そして、修正する内容は殆んどの場合精神の癖に関わることです。精神の癖とは、身辺に起きる事象に対して無意識に反応する心・言・行です。それだけに取り組み始めても途中で嫌になることもあります。「私ばかり何で・・・」「不公平だ・・・」という思いがムクムクと湧き起こってきます。

また、「私が悪かった」と心底気付いたのは良いのですが、「今更こんなことをしても大丈夫かしら・・・」という不安がヒタヒタと押し寄せてきます。こうした二面の真情が人間の弱さであることは言うまでもありません。

平成19年4月メシヤ講座より

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。